元を辿ると百年以上前、芦屋市津知町にて先々代が鮮魚等を扱って刺し身盛りや冠婚葬祭用の仕出しを作って生活を支えてた事が始まりでした。しかし運悪く、その場所が空襲で焼失してしまった事で現在の場所に移転してきました。
その場所というのが、当時から芦屋の台所として市民に親しまれ栄えていた、のちに「本通り商店街」と呼ばれる所でした。お客様商売をするには最適なこの場所で再び商いを始める事にしたのです。ちなみに「本通り商店街」という名称は大正十二年ごろから使われ始めたそうです。
そして昭和二年、屋号「割烹 三佳」として本格的な料理店としてスタートし、その後、先代となる私の父が三佳を継ぐ事になりました。それからは慶事・法事の際の仕出しを中心に、店舗内でも握り寿司や会席を楽しめる割烹料理店として長年に渡って地域のお客様に親しんでいただいておりました。
先々代、先代、そして現在まで九十余年に渡って順調に店舗経営を続けられていたわけではありません。やはり大きな転機となったのは1995年の阪神大震災でした。当然、本通り商店街も莫大な被害を受け、当店三佳も決して例外ではなく、一瞬のうちに店舗は全壊してしまいました。
アーケードがかかっていた所は完全倒壊こそ免れましたが、実際はほとんどの店舗が全壊状態。特にアーケードがかかっていなかった入口と出口付近に立地していた店舗は完全に倒壊し、瓦礫に埋もれて道を歩くことすら出来ないほど悲惨な状態でした。
その後、少しずつ復興が始まった事で本通り商店会の瓦礫も撤去され、やがて区画整備が始まり、道幅は以前の倍の広さに広げられて現在の本通りが再建され、地震によって全壊した当店もその中に新しい店舗を構えることができることになりました。
震災を乗り越えて、新「割烹 三佳」はスタートしましたが、先代の父も高齢になってきたということもあり、私(島谷充彦)が三代目として看板を背負っていくということになりました。
震災後も地域に愛していただいていただいたお陰で、今まで通り商いを続けることはできていましたが、今度は2020年からのコロナ禍の影響によって仕出し関連の受注が完全になくなり、さらには緊急事態宣言も出されたことで来店客が大幅に減ったことで、今まで通りの営業はできなくなってしまいました。
そこで営業形態をいちから見直し、今後の受注の見込みが少ない仕出し料理、保存が利かず食品ロスに繋がりやすいお寿司やお刺身などの鮮魚関連メニューは廃止して、うなぎ一本で勝負する事にしました。
大きなターニングポイントでした。幸いなことに阪神大震災でも先々代から継ぎ足しのタレは守り抜けたことで、うなぎ料理の専門店「江戸焼うなぎ 三佳」として再々スタートすることになりました。
そんな転機に伴い、地元の方々以外に、今後は遠方にお住まいの方々にも三佳の味をご堪能いただけるようにネット通販も準備を進めています。
「割烹 三佳」から「江戸焼うなぎ 三佳」として、先々代から受け継いだタレと技術、そして愛してくださっている地元の方々のお気持ちを大事に、私、三代目店主の島谷充彦が心を込めて美味しいうなぎ料理をご提供していく所存です。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ご覧いただきありがとうございます。
江戸焼うなぎ 三佳
三代目店主 島谷充彦
資料提供・協力:芦屋市本通り商店会サイト